コピー用紙のB判は日本生まれ

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 コピー用紙のサイズ、A4やB5の「A」や「B」は、紙のサイズの規格を表す。日本工業規格(JIS)で定められたA0サイズは841mm×1189mm、B0サイズは1030×1456mmで、数字はこれを何回折ったかを示している。このうち「B判」が生まれたのは日本である。

 B判は日本で古くから使われていた美濃和紙のサイズが元になっている。関ヶ原の戦いで徳川家康が東軍を指揮する際に使った采配に美濃和紙が使われ、この戦いで勝利を収めたことから縁起の良い紙として江戸幕府の御用紙となり、全国に広まった。

 一方、A判はドイツ工業規格(DIN)に定められたサイズが元になっている。1900年代初頭にドイツで紙のサイズの標準化について検討が始まると、標準化研究所「ディ・ブリュッケ」も参入した。同研究所は、物理化学者で硝酸の生成法にも名を残すヴィルヘルム・オストワルトが代表を務める。オストワルトは1911年、美しい形の白銀比になるよう1×√2cmを基に、倍に増やす方法を考案。1922年には、オストワルトの助手を務めていたヴァルター・ポルストマンによって、面積1m2を基にしたサイズに改良されたものがDIN規格に定められた。

 なお、白銀比サイズの紙自体は18世紀末、革命中のフランスで使われており、1794年に制定された税法からもうかがえる。また、ドイツの物理学者、ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルクは、1786年に同僚へ送った手紙の中で紙を白銀比にすることに言及しており、世界初の考案者とされる。

 1929年、JISの前身である日本標準規格(JES)によって、A判とB判の規格が定められた。行政文書では依然としてB判が長く使われてきたが、1992年に開かれた各省庁の事務連絡会議で、行政文書を原則A判に統一する旨の申し合わせがなされたことから、現在ではA判が主流となっている。