脱獄した囚人が裁判官になったことがある

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 明治時代、脱獄した囚人が裁判官になったことがある。

 彼の名は、渡邊魁。三井物産長崎支店に勤務し、金銭出納を担当していたが、1880年2月から、支店長の検印を盗んで会社の切符を偽造し、三井銀行から計約460円を横領した。同年7月、雇人盗家長財物律違反の罪で、終身懲役の判決を受けた。

 当初は長崎監獄で服役していたが、服役中にたびたび獄則を破ったため、三池集治監に移監された。移監の3週間後、看守の目を盗んで脱獄した。

 脱獄後は大分県大分町に潜伏。1882年、辻村庫太という偽名を名乗り、大分始審裁判所竹田治安裁判所の雇員に採用された。

 1883年には、本籍地の東京府本所区の区長に対し、父の平丁と共に附籍願を進達。「辻村は平丁が養育してきた上野戦争の孤児」と偽証し、辻村の戸籍の編成に成功した。

 1887年、判事試補となり長崎始審裁判所福江治安裁判所に転任。1890年には判事に昇任した。だが、横領事件を起こしたのと同じ長崎とだけあって、受刑囚と瓜二つの判事が現れたと噂になった。

 1891年、かつて渡邊を取り調べたことがある検事らにより逮捕。長崎地裁は官文書偽造行使の罪で軽懲役6年の判決を言い渡した。だが、翌年、「戸籍簿の記入自体は官吏が行ったもので官文書偽造には当たらない」として、大審院検事が非常上告。これを受け、大審院刑事部は無罪判決を言い渡した。

 渡邊は終身懲役で再び収監されることも、脱獄が罪に問われることもなく、再逮捕から1年で出獄した。