雑学ぼっくす

2016.06.08|No.281

死刑執行後に生き返った死刑囚がいる

 現在の愛媛県中予、東予地方にあたる石鐵県で1871年、死刑執行された死刑囚が蘇生するできごとがあった。

 蘇生したのは、同県久米郡北方村(現・東温市)、農民、田中藤作。1870年、文明開化で政府が発布した神仏分離令をもとに伊予松山藩が神仏習合の廃絶を行う政策を打ち出したことに反発し、村の住民とともに政策の反対と、廃藩となった松山藩主の免職反対を要求する騒動を首謀した一人。この騒動は「久万山・久米騒動」と呼ばれる。

 騒動は次第に暴徒化し、田中死刑囚は、郡役所に乱入し租税事務所を放火したとして逮捕。翌年死刑が宣告され、1872年11月に執行された。だが執行後、徒刑場から1里ほど運んだところで棺桶からうめき声が聞こえたため蓋をあけたところ、田中死刑囚が蘇生していた。

 村から報告を受けた県は政府に指示を仰いだ。政府は、既に死刑を執行したため再び執行する理由はないとして、田中死刑囚の戸籍回復を容認。執行した県の役人の懲戒も行わないとした。

 当時の死刑は、うなじに縄をかけ、縄の先に20貫ある重い石を吊り下げた「絞柱」という器具を用いて絞首する仕組み。政府から死刑に絞首刑を用いる布告が出された1870年に導入された、日本の死刑執行に使われた絞首器としては初の器具で、この方法で本件を含め3人が蘇生したともされるが、根拠となる事件の詳細まではっきりとした記録が残るのは本件のみである。

 現在の日本で同様の事態が発生した場合についての議論は盛んに行われていない。だが、前述の前例があるほか、残虐な刑罰の禁止が規定された憲法第36条と一事不再理が規定された憲法第39条により、二度の死刑執行は認められないとする意見が根強い。ただし、現在の日本の死刑は、ぶら下げたまま絞首し30分程度放置するのが慣例で、確実に死亡すると考えられている。